高島平は江戸時代には徳丸原(とくまるがはら)と呼ばれていました。

1841年、江戸幕府によりこの地に西洋式砲術の訓練所が開設されました。

その指導にあたっていたのが高島秋帆という長崎出身の西洋砲術家です。

訓練所の本陣の置かれた萬吉山松月院には砲台のかたどられた記念碑が建っています。

明治以降には、田畑の開発が進み、城北の穀倉地帯と呼ばれました。

1972年日本住宅公団により開発が行われ、住宅地として発展をとげました。